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妹は3月3日生まれである。

彼女は小さい頃はからだが弱くて、
よくお腹の病気で入院した。
入院のたびに母が付き添い、
私は父と二人で家に残されるのが常だった。
なによりいやだったのは入院している妹を見舞いに行くと、
いつもバナナとカステラがあったこと。
あの頃はバナナだのカステラだのは貴重品で(いつの時代だ(笑)
入院しなければなかなかクチにできるものではなかった・・・ような気がする。

妹は内気で、あまり優秀な転校生ではなかった。
新しい学校に馴染むのにものすごく時間がかかる。
転校したその日に友達をうちに連れて帰る私とは
全然タイプが違っていたのだ、小さい頃は。

高校受験のときに、私と同じ高校を受けると言い出して、
家族はビックリしたものだった。
妹は、その性格から多分女子校に進むだろうと両親も私も思っていたからだ。
妹の担任は、落ちることはないだろうが、
高校に入ってから苦労するから、ワンランク志望を下げてはどうか
(多分これも性格を考慮して)とアドバイスしてくれたが、
妹はガンとして聞き入れず、結局私と同じ高校に進学した。
私と妹の通った高校はその県ではまあ知られた進学校で、
全体の半分に入っていれば、国立一期校にはなんとか、
というレベルのところであった。
が、入ったときから4分の3くらいをうろうろしていた妹は、
案の定国立には落ちて、公立の女子大に進んだのだった。

そこで彼女は大変身を遂げる。
部活を二つ三つ掛け持ちして、その責任者となり、
挙句の果ては学生会の役員に立候補したりしていた。
女性ばかりの大学という土壌が良かったのか、
持って生まれた素質がようやく開花したのか、
とにかくあまりの変身ぶりに私も両親もただただ驚くばかりであった。

結婚はお見合いであったけれど、高校の先輩と結婚し、
子どもにも恵まれ
愛知県の某市に家を建て、本当に順調に堅実に暮らしていた。
結婚後も大学の通信教育で資格を取り、
それを生かして近所の大学に勤めるなど、いつも何に対しても意欲的だった。
ふらふら放浪生活を続け、
子どもばかり沢山いるが親に迷惑をかけどおしの私とは
正反対のしっかりした生活を続けていたのだ。


妹は一昨年亡くなった。
脳髄液が徐々に減っていくという奇病で
最初はただの頭痛から始まったので、なかなか原因がわからず
治療にとりかかるのが遅れてしまったのだった。
そして頭痛を訴え始めてほんの一月ちょっとで
妹はあっという間に逝ってしまった。

私が結婚して家を出て、ずっと妹とは離れて生活してきたから
いまだに彼女が死んでしまったと言う実感を持てないときがある。
離れて暮らしていたから、私と母と妹は毎日メールの交換をしていた。
彼女が意識不明で病院に入院する前日まで。
パソコンの中に、妹からきたメールは、まだ数百通残ったままだ。
待っているとメールが来るのではないか、電話をかけてくるのではないかと
漠然と思ってしまうことが今でもある。


今日はひな祭りの節句、妹の誕生日だ。
あとで、甥たちと、私の両親に電話をしよう。
子どもは親より早く死んではいけないと、強く強く思う今日この頃。

【2003/03/03 16:49】 | 未分類 |
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