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K大付属病院は、誰でも突然入院できるところではない。
それは今でもそうだろうと思う。
たまたま飛びこんだ産婦人科のお医者さんの息子さんが、
そこにお勤めだということで
(優秀な息子さんだったんですね・・今更ですが)
私は飛びこみ患者だったにもかかわらず、
運良く、すぐ受け入れてもらえたらしい。
たしか付属病院に受診に行って、
翌日だかの検査入院が決まったのだった。

病室は6人部屋だった。
年配者が多かった気もするが良く覚えていない。
なにせ香港から帰ってきてその直後の母の入院だ、
2歳の長男はパニックになっていた。
祖父祖母とも日頃一緒に暮らしているわけではないし、
友達もいない、父親も居ない、たよりの母は突然入院。
入院していた1週間、彼は毎晩夜泣きをして
「お願いだからママのところへ連れていって」
「イイコにするから連れていって」を繰り返していたそうだ。
昼間は必ず会いに来てくれて
にこにこしてとても聞き分けがよかったのだが、
夜になると寂しかったのだろう。
そりゃ、2歳になったばかりだったのだもの、仕方ないよね。

1週間の入院は暇だった。
1日1度どこかで何かの検査をやる。
集中的にやれば1日で終わりそうなものだったが、
まあ、それは素人考えというものであったろう、もちろん。
それにしても暇だった。
6人部屋のほかの人達の質問責めもうざかった。
自分でもどこがどんなふうに問題があるのか、
わからないから余計にうざったかった。
医者に会うのは1日に1度くらいだったし、
どの人が自分の主治医なのかも良くわからなかった。
検査をしてくれた医者にあれこれ聞いてみても、
誰もはっきり答えてくれなかったし。

インフォームドコンセント、という言葉が
一般的になったのはいつごろからだろう?
今はどんな処置をするとか、どんな検査をするとか、
あらかじめ患者と医師は
しっかり意思の疎通をはかる仕組みが出来ているのだと思うが、
なにせあのときは、自分は常にかやの外だった。
私の両親も何を聞いても答えてくれないと言っていた。
「ご主人は?」と尋ねられて
「香港におります」
「こちらに戻ってこられますか?」
「無理です」
それでおしまい。
こんな状態だから話をしたいと言ってくれたら、
きっとツレアイも時間を作って話を聞きに帰ってきたのに、と今なら思う。
とにかく、な~~んにも私は説明を聞くことができないまま、
1週間の検査入院は終わった。

それから定期的に病院に通う生活をしていたのだが、
自分ではどこにどんな異常があるのかわからないまま、
夏は過ぎて行ったのだった。
9月になって私は香港に戻ることにする、と医者に宣言した。
「戻ります。」
医者は驚いたようだった。
ずっと出産まで福岡にいるものだと思っていたと言われた。
「服も無いし、あちらの家の状態も心配ですから、戻ります。」

結局私の主張は通った。
医者は飛行機に乗る事が危険だとは言わなかった。
私は<しっかり糊付けされた>封筒と
「必ず9ヶ月目に入ったらこちらに戻って来てください。」
という医者の言葉とともに、香港に帰ってきたのだった。
香港は相変わらず夏だった。

【2003/02/13 13:27】 | 昔ばなし |
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