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船便で送った荷物はひと部屋にまとめて積み上げてあった。
送ったのは何ヶ月か前だったし、
香港の夏を越したあとだったので
ダンボールは既にふにゃっと形を崩していた。
今も昔も、香港の湿気はすごいのだ。
除湿機もクーラーもかけない部屋で
夏を過ごした荷物がどうなっていたか・・・
・・・思い出したくもない、忘れたことにしよう。
荷物をほどかなかったツレアイを
責めたりする事の無かった寛容なツマの私だったが、
片付けはじめるうちに、
どうも送った荷物のうち、
ダンボール一つだけ無くなっているらしい事に気づいたのだった。

今は海外引越しを扱う運送会社もそれなりに沢山あるし、
海外赴任だって珍しくも無い時代だから、
運送会社のサービスもかなり良くなってきている(・・と思う)
が、20年ほど前の引越しのときは、選択の余地はなかったのだ。
保険のリストはともかく、
荷物の内容リスト作りから、壊れ物じゃないパッキングまで、
運送会社(あ~、名前を出したい!(笑)の指示にしたがって、
お客の私がほとんどをこなさねばならなかった。
乳飲み子抱えてたんだよ、あたしゃ。
で、私はその運送会社に、
ただでさえいろいろ恨みがたまっていたわけである。

結婚してから、日本ではずっと関東で暮らしているが、
実家は九州にある。
あのころはまだ父も現役で働いていたから、
母の応援を簡単に頼める状態ではなかった。
今のようにネットで簡単に情報が入る時代ではない。
会社で赴任前の説明会も開かれていたが、
乳飲み子連れで上京するのは辛かったので、
(っていっても住まいはS県U市なんだけどね)
パンフをもらってそれでおしまいにしたから
何を持って行ったらよいのか、よくわかっていなかったなあ、そういえば。

話がそれてるぞ(^^;
とにかく一人でほとんどすべてこなしたので、
荷物の紛失もすぐにわかったのだ(えへん)
それで運送会社経由で保険会社に紛失の件を知らせ、
賠償してもらおうとした。

この事件が<今>の私の性格形成に
大きく関与している事は間違いない。
・・・言い方が大げさだと笑わないように・・・
とにかくこの交渉は長引いた。
保険の請求が遅すぎたのが一番の原因なのだが
(私は荷物が届いた半年後くらいに請求したので)
のらりくらりと部署を回され、かわされ・・・
いったいどれくらいの労力をかけた事か。
ようやく日本円にして1万円の保険金を手に入れたときは、
まっこと涙モノでありました。

とにかく交渉ごとは粘り強く、ときに高飛車に、
絶対下出に出ないで、自分の主張を貫き通す。
これ、このときの教訓である(笑)

ちなみに、無くなったダンボールに入っていたのは、
多分フライパン一個。
なんでそれだけが無くなったのかは、いまだもって謎。
なんでそれだけを一つのハコに入れたのかも、
やっぱり謎(笑)

【2003/02/11 20:37】 | 昔ばなし |
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